「高槻城」だけじゃない!高槻「芥川城」が国史跡に指定

 カテゴリ/高槻Life 投稿日/2023-03-19

令和5年3月18日に高槻城公園芸術文化劇場がオープンし、新たなスタートを切った「高槻城」。
今、注目を浴びる「高槻城」とは別に、高槻市内にはもう1つ、重要なお城の跡地があることをご存知でしょうか?
 

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「芥川山城」改め、「芥川城」です!
 
高槻市大字原、三好山にある「芥川城」。
これまでは、西国街道・芥川宿の近くにあったとされる伝承の平城と区別するため、「芥川山城」と呼ばれていました。
 
しかし、近年、発掘調査が進み、立派な建物の礎石や、書物と合致する火災の痕跡が見つけられたことから、この山城が、戦国時代の「芥川城」だと認定されるに至ったのです。
 

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令和4年11月10日には、国の史跡となった「芥川城跡」。
実は、最近の研究では、この城こそが、信長の安土城や秀吉の大坂城に先立って、「天下人の居城」とされていたのではないかと考えられているのです。
 

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16世紀初頭、細川高国によって築城された芥川城。
1533年には、細川晴元が、1553年には、三好長慶が入城しました。
三好長慶といえば、当時の将軍であった足利義輝を失脚させた人物。
最終的には、摂津・芥川城を中心に、京都・山城、丹波、和泉、阿波、淡路、讃岐、播磨を実効支配、さらには、伊賀、河内、若狭にまで影響を及ぼしていたとされています。
 
日本史の授業や大河ドラマでは、あまりスポットライトがあたることはありませんが、実質的に、織田信長より15年も前に、「天下人」として三好長慶が実質的な政権運営を行っていたのが、この「芥川城」だったのです。
 
その証拠を示す品も、高槻・三好山からはたくさん出土しています。
 

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芥川城跡から見つかった土師器のお皿は、この城に、京都から公家や貴人を迎え、儀式や宴会が繰り返し催されていたことを今日に伝えています。
 

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水の使用に関連して権利を争っていた人々に対し、裁許を下した書状。
摂津・高槻での紛争はもちろん、この芥川城を拠点とし、三好長慶は、「戦国時代・最初の天下人」として、天下に号令を発していたのです。
 
1568年には、京都への上洛を目指す織田信長も、やはりこの芥川城に入城したといいます。
 
2人の「天下人」とその居城「芥川城」。
関連する謎解きゲームが、ちょうどこの月末、令和5年3月31日まで実施中です。
 
歴史リアル謎解きゲーム「謎の城」in高槻 「三好長慶と織田信長」◆
【期間】令和4年10月28日~令和5年3月31日
【受付時間】10時~15時
【会場】JR高槻駅周辺、高槻城下町エリア
【受付】高槻市観光案内所(JR高槻駅中央改札)、高槻市観光協会(エミル高槻内2階)
【休催日】毎週月曜日他(HPで要確認)
【参加費】1500円(税込み)
【HP】https://nazoxnazo.com/event/takatsuki2022/
 
子どもたちが、芥川城の歴史に触れ、もっと高槻を好きになれるように…。
ぜひとも、春休みの思い出作りに、家族で挑戦してみてはいかがでしょうか!?
 

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「芥川城」と「高槻城」。
昔も今もこれからも。
高槻の2つの「城物語」は、未来に向けて、新たな歴史を刻み始めました!
 

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 カテゴリ/高槻Life 投稿日/2023-03-19