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野見神社・永井神社・小島神社の謎に迫る!

 カテゴリ/高槻Life 投稿日/2022-06-08

「すいません、永井神社への行き方、教えていただけますか?」
「新しくなった小島神社を見に行きたいのですが…。」
もし、高槻観光に訪れた人にこう聞かれたら、皆さんはすぐに案内できるでしょうか!?
 

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実は、永井神社も小島神社も、高槻市民なら誰でも知っているあの場所にあるのです!
 

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そう、野見神社です。
 
最近は、花手水でも、有名になった野見神社。
https://www.kosakaweb.jp/columns/detail.php?id=488&cid=39
 

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高槻市民からは、「えべっさん」の神社としても愛されていますよね。
 

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実は、野見神社の境内には、「高槻えびす神社」以外にもいくつかの摂末社が祀られています。
そのうちの一つが、永井神社であり、小島神社なのです。
 
そこで、今回は、野見神社の歴史とともに、「なぜ永井神社や小島神社が野見神社の境内にあるのか?」という謎に迫ってみましょう!
 

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野見神社の歴史は古く、9世紀後半、宇多天皇の時代にまで遡ります。
ちょうど昨今のコロナ禍と同じように、この地域に疫病が流行り、それをおさめるために「牛頭天王」をお祀りしたのが始まりと伝えらえています。
 
その後、キリシタン大名であった高山右近により、社領を没収されてしまいますが、1619年、松平紀伊守によって復興されます。
 
実は、「野見神社」という名称は明治に入ってからのこと。
それまでは、「牛頭天王社」と呼ばれていました。
 
つまり、野見神社は、高槻城が築城される以前から存在し、高槻城ができた後は、「高槻城城内守護」の神様として、歴代の高槻城主に崇拝されてきたのです。
 

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松平家の後に高槻城主となったのが、永井直清。
1649年のことでした。
永井直清は、高槻の城下町を整備し、文化財の保護や水田開発などにも力を入れ、その後13代続く「永井家高槻藩」の基礎を築きました。
 
その功績を称え、偉大なる初代を祭神として祀ったのが、1793年、9代藩主永井直進の時代です。
さらに、11代永井直輝は、1848年に永井家の高槻城入城200年を記念して、唐門と拝所を造営しました。
この唐門は、権現様式の社殿とともに、高槻市の有形文化財に指定されています。
 

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一方、小島神社は、残念ながら、永井神社のように詳しい創建の経緯は不明です。
ただ、「粂治山付近瀧ヶ淵」の大蛇を龍神として祀ったという言い伝えが残されています。
 
「粂治山」という地名は、現在はあまり耳慣れませんが、990年、近藤忠範が館を築き、元祖高槻城の始まりとされた場所が、「久米路山」と呼ばれた丘。
そのため、かつて高槻城は、「久米路山龍ヶ城」とも呼称されていました。
 
つまり、小島神社は、高槻城ができる以前から、出丸町付近にあったと考えて良さそうです。
 
その後、小島神社も、松平紀伊守により、堀の中に社殿が再建されました。
明治時代になり、陸軍に社領を献納したため、野見神社の境内に遷されたということです。
 
平成時代になり、大阪北部地震や同年の台風の被害を大きく受けましたが、昨年、無事改修工事を終えました。
このように長い歴史を持つ小島神社の御造営に小阪工務店が携われましたこと、大変光栄に存じます。
https://www.kosakaweb.jp/works/detail.php?id=578&cid=23

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よく知っているようで、まだまだ知らない高槻の歴史。
調べれば調べるほど、その深さと偉大さに魅了されるばかりです☆
 

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