【高槻地名学・第二弾】「舵折れ」が梶原に!?

 カテゴリ/高槻Life 投稿日/2019-02-22

高槻市の東の端、島本町までもう少しというところにあるのが、梶原・上牧地区です。
名神高速の道路情報を聞いていると、「梶原トンネルを先頭に~キロ・・・」という渋滞のアナウンスがよく聞かれますよね。
電車をよく利用する人にとっては、JR、阪急、新幹線が併走する場所といえば、わかりやすいかもしれません。
【高槻地名学・第二弾】となる今回は、今も昔も交通の要所となっている「梶原」について調査してみましょう!

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かつては、西国街道の宿場町の一つでもあった梶原地区。
当時は、山崎宿と芥川宿の中間地点として、たくさんの人々が行き交いました。
今も、西国街道沿いに、梶原の一里塚跡がひっそりと遺されています。

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「上牧」の地名の由来は、この地に天皇や公家たちの牧場があったから。
それでは、「梶原」は・・・?
実は、この梶原地域、名前の由来も、「交通」に関係があったのです!
 
はるか昔、唐からの船が大阪から淀川を上り、京の都へと旅を続けていました。
ところが、ちょうど現在の梶原の辺りにさしかかったところで、大風に巻き込まれてしまいます。
帆は無くなり、舵は折れてしまった唐船。
そこで、この地域を「舵折り」→「かじおり」→「梶原」と呼ぶようになったと伝えられています。
 
きっと今も昔も優しい高槻の民、難破した唐船を助けたのかもしれません。
さすが歴史ロマンにあふれる高槻市☆
たった一つの地名からも様々な想像がかきたてられますね!
 
かつてこの地にあったといわれる「梶原寺」。
現在の畑山神社の辺りだったのではないかと考えられています。

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畑山神社の境内には・・・

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梶原寺跡の礎石が置かれていました!
 
梶原寺は、『今昔物語』にもその名が登場する非常に有名なお寺です。
創建は7世紀中頃ともいわれ、長い歴史を持つ高槻市内でも、最も古い寺院であったのではないかと推定されています。

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なんとあの奈良・東大寺に使われた瓦6000枚は、梶原寺の裏山の瓦窯で焼かれていたとか!
技術力も高く、淀川の水運も利用できる、高槻・梶原の地。
当時の日本にとって、非常に重要な一大拠点だったということが窺い知れますね。

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このように、誇らしい歴史を刻んできた梶原地区。
高槻市では、大阪府の「歴史街道計画」を受け、この梶原を「歴史都市高槻」のアピール地点と位置づけています。
これから、歴史散策路や公園の再整備など、新たな開発計画の中心となることが期待できそうですね♪
これからも、高槻・梶原は、その名前の由来とともに、歴史と交通の要所として、長く語り継がれていくことでしょう!

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 カテゴリ/高槻Life 投稿日/2019-02-22