富田の風情漂う街並みと、歴史ある本照寺を訪ねました。

 カテゴリ/高槻Life 投稿日/2017-10-04

江戸時代の面影を現代に伝える富田の街は、かつて日本有数の酒造りの地として、その名を全国にとどろかせました。
 

高槻Lifeの写真1

また、富田は、普門寺や慶瑞寺、教行寺、清蓮寺などたくさんのお寺が建ち並ぶ寺内町としても知られています。
今回は、その中でも、「浄土真宗・中興の祖」と呼ばれた蓮如上人の父・存如が創建した「本照寺」にスポットを当ててみましょう!
 

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1427年に造られた本照寺は、創建当初「光照寺」と呼ばれていました。
17世紀、江戸時代に入ったのち、本願寺の一字をもらい受け、本照寺と名を改めたそうです。
「富田御坊」として、高槻や茨木から多くの人々が集まる本山と崇められました。
 

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本堂、山門、東門、鐘楼ともに、高槻市の有形文化財に指定されています。
 

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実は、この本照寺には、ほんの50年足らず前まで、立派な松の大木がありました。
「冷泉家・中興の祖」と呼ばれる、18世紀の歌人、冷泉為村も和歌に詠み込んだ名木。
為村の母親は、この本照寺の住職の娘だったそうです。
 
「むれ鶴の 富寿栄の松葉 枝高く ひろくしげれる 幾千代の陰」
 

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この歌から「富寿栄(ふすえ)の松」と呼ばれたクロマツは、樹齢600年とも700年とも伝えられ、なんと国の天然記念物に指定されていたのです!
 
江戸時代に刊行された摂津名所図会にも描かれた「富寿栄の松」。
http://www.city.takatsuki.osaka.jp/rekishi_kanko/rekishi/rekishikan/daionokuni/1327733381299.html
けれども、非常に残念なことに、1960年代後半から、虫喰いによる被害で枯れ始めてしまいました。
そして、1971年、国からの指定が解除されたのち、とうとう完全に枯れ果ててしまったのです・・・。
当時の住職さんや地域の方々も何とか名木を救うべく、八方手を尽くしたそうですが、すでにどうすることもできない状態になっていたといいます。
 

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今も境内に遺る「富寿栄の松」の切り株。
歴史や自然の遺産を数多く持つこの高槻に住む人間の一人として、その責任の重大さを改めて深く考えさせられてしまいますね。
 
この富田だけではなく、高槻には、まだたくさんの古きよき街並みが遺されています。
高槻に長く根ざしてきた私たち小阪工務店は、そんな素晴らしい「ふるさと・高槻」を未来の世代につないでいくことができるような、リフォーム・新築を常に心がけております。
 
高槻の歴史や文化、自然をよく知る小阪工務店だからこそできる「家づくり」「街づくり」で、皆様のお手伝いができれば・・・。
富田の風情漂う街並みと、歴史ある本照寺を訪ね、そんな思いを新たにした秋の一日でした。
 
※JAたかつき富田支店新築工事を担当させて頂いております。
詳しくは、こちら↓をご覧下さい。
http://www.kosakaweb.jp/works/detail.php?id=211&cid=22


 
◆ 本照寺
 
住所 高槻市富田町4丁目
電話番号 072-696-0639
アクセス 阪急富田駅下車、南へ徒歩で約10分


 

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 カテゴリ/高槻Life 投稿日/2017-10-04